カール・G・ヘンペル『自然科学の哲学』(4章「確証と受容可能性の基準」)

(1-2章)(3章)の続き.

テストによって色々な種類の証拠が集まると,仮説の信頼性(credibility)が著しく増すことがある

例えばスネルの法則(光の屈折の法則.異なる媒質の境界に光が入射するとき,入射角の正弦と屈折角の正弦との比 sinα/sinβは,どの一組の媒質についても,その一組に固有なある一定値をとるというもの)に対して以下3種のテストが行われ,その結果のどれもが法則と合致していたとしよう.

  1. 媒体と入射角を一定に保って比を100回測定してみる.(例えば,光線はいつも空気から水へ30°の入射角で入れられる.)
  2. 媒体は一定に保って入射角だけ変えて測定してみる.
  3. 媒体も入射角も色々変えて測定してみる.

この中でスネルの法則を最も強く支持しているのは3番目のテストである.なぜなら,最も多様な種類の証拠(法則を肯定する実験結果)を提供しているからだ.1番目のテストは単にある一組の媒体における sinα/sinβの値*1を示し,2番目のテストはある一組の媒体においてのみ sinα/sinβの比が一定であることを示しているだけなのである.

もちろん,「色々な種類の証拠」といっても無意味なものもあるだろう.例えば異なった標高,異なった月齢の日,異なった磁場の場所などといった因子を加えて3番目のテストを繰り返しても,法則と合致する結果が得られるであろうが,このことによって証拠の種類が(意味のあるやり方で)増えたとは見なされないであろう.

けれど,ある仮説にどんな因子が影響を与えるのかあまり分かっていない状況なら,手当たり次第に証拠の種類を増やすことも無駄ではないかもしれない.例えば,パスカルの依頼によってペリエが水銀柱の実験を山頂で行ったとき,彼は標高以外のどんな因子が水銀柱の長さに影響するかということについて明確な考えを持っていたわけではない.だから彼は以下のように,測定の場所を色々変えることによってテストの信頼性を増そうとしている.

“私は,それゆえ同じことを5回以上も非常に正確に,山頂の異なった場所において試みた,すなわち一度はそこにある小さな礼拝堂の中で,一度は外で,一度はかこいの中で,一度は風の中で,一度はよい天気のときに,一度はときおりやってくる雨と霧の最中に[...]試みた.そしてその実験のどの場合にも,水銀柱の高さは同一であることを見出した.[...]”

ある仮説が作られたときにはまだ知られていなかった現象も,将来その仮説で説明できればその仮説の信頼性は著しく増す

いかなる一組の有限個の点が与えられていても,それらを通ってあるなめらかな曲線を描くことは可能である.同じように,いかなる一組の量的データが与えられていても,そのデータに合致する仮説を構成することは可能である.それゆえ,過去の事実を説明できるというだけでは,その仮説が信用に値すると主張することはできない.ある仮説が過去の事実をすべて説明するよう構成されており,かつその仮説をテストするための事実が将来何も与えられないのであれば,その仮説は反証不可能である.このような仮説(理論)は,ポパー反証可能性の基準によれば疑似科学だということになる.大切なことは,その仮説が新しい事実にもちゃんと適合するかということである.

仮説の単純さ

ある物理現象の量的な特性vが,他の量的な特性uの関数である(v = f(u))らしいことが分かっている.そしてuの値が0, 1, 2, 3のとき,vの値が2, 3, 4, 5であることが実験によって確かめられ,このデータに基づいて次の3つの仮説が提案されたとする.

  • $H_1: v = u^4 - 6u^3 + 11u^2 - 5u + 2$
  • $H_2: v = u^5 - 4u^4 + u^3 + 16u^2 - 11u + 2$
  • $H_3: v = u + 2$

これらの仮説はどれも,先に得られたデータに適合している.これらの仮説をグラフに描くと,どれもが(0,2)(1,3)(2,4)(3,5)の4つの点を通るのである.

問題の物理現象に関してこのデータの他に何も知識を有していないのならば,仮説として$H_1$$H_2$を選ぶ理由はなく,最も単純な$H_3$が選ばれるであろう.

単純さの原理(principle of simplicity)

仮説は単純な方がよいとされている理由には,以下のものがある.

「自然の基本法則は単純である」から

確かにこの考えは,多くの著名な科学者によって支持されているようだ.しかし,自然の基本法則が本当に単純かどうかなど分からない.この考え自体が仮説にすぎないともいえる.

実用的だから

科学は世界を経済的に記述するための便宜的な手段なのだから,複雑であるより単純であるほうが便利.

反証可能性が高まるから

単純な仮説の方が,より多くのテスト含意を有する.例えば「2本足で歩く生き物はすべて人間である」という仮説のテスト含意には,「ソクラテスは人間である」も「鶏は人間である」も含まれる.一方,これより複雑な「2本足で歩き,羽を持たない生き物はすべて人間である」という仮説のテスト含意に「鶏は人間である」は含まれない.

一般に,テスト含意の集合が大きい仮説ほど「大胆な」仮説であり、反証されやすい(反証可能性の高い)仮説である.このことから,ある問題について単純な仮説(反証されやすい仮説)と複雑な仮説(反証されにくい仮説)の両方が生き延びているならば,前者の方が優れた仮説であるといえる.

「仮説の単純さ」について論じられている文献

S. Barker, Induction and Hypothesis. Ithaca: Cornell University Press, 1957.

"A Panel Discussion of Simplicity of Scientific Theories," Philosophy of Science, Vol. 28 (1961), 109-171.

W. V. O. Quine, "On Simple Theories of a Complex World," Synthese, Vol. 15 (1963), 103-106.

*1:この場合 sinα/sinβは1つの数値しかとらない.他に比較する対象がないので,比というより値といったほうが自然であろう.