カール・G・ヘンペル『自然科学の哲学』(1-2章)
- 作者: カール・G.ヘンペル,黒崎宏
- 出版社/メーカー: 培風館
- 発売日: 1967
- メディア: ?
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
概要
1章 この本の範囲と目的
科学は以下のように分類される.
2章 科学的探究:発明とテスト
ゼンメルワイス「第一産科で分娩した婦人は,産褥熱による死亡率が高い.なぜ?」
彼の立てた仮説とその検証は以下の通り.
- 仮説1 産褥熱が流行しているからだ. ←第一産科と隣接する第二産科では産褥熱による死亡率は高くない.よって仮説は正しくない.
- 仮説2 第二産科では横向きになって分娩している.分娩時の姿勢が高死亡率の原因だ. ←第二産科と同じように横向きで分娩させてみたが,死亡率は変わらなかった.よって仮説は正しくない.
- 仮説3 瀕死の患者に引導を渡す坊主が,第一婦人科の病室の前を通り道にしている.この坊主を見て不安になり,病気に罹りやすくなるのが原因だ. ←病室の前を通らないようにしてもらったが,死亡率は変わらなかった.よって仮説は正しくない.
これらに共通する推論の手続きを一般化すると以下のようになる.
- もし仮定が正しければ,ある観察可能な出来事が特定の状況のもとで起こるはずだ.
- 出来事は起こらなかった.
- よって仮定は正しくない.(1,2から推論規則Modus Tollensにより)
同じことを論理記号を使って書くと以下の通り.
- 1,2 MT
しかし試行錯誤の末,ゼンメルワイスは以下の仮説にたどりつき,ついに第一婦人科の死亡率を下げることに成功する!
- 仮説4 第一婦人科の医師は検屍の直後に診察を行っていた.死体から生じる毒物が婦人の血液に入ったことが原因だ. ←診察に入る前,さらし粉の水溶液で手を入念に洗うよう医師に指示すると,死亡率は急激に減少した.
ところで,ここでは
- もし仮説4が正しければ,手を入念に洗うと死亡率は減少するはずだ.()
- 手を入念に洗うと死亡率は減少した.()
であるが,これらのことから以下の結論は得られるだろうか.
- よって仮説4は正しい.()
答え:できない.これは後件肯定の誤りといわれる誤謬で,有効な演繹ではないからである.
それでは,仮説4は結局正しかったのだろうか,正しくなかったのだろうか? 答え:仮説4が正しかったか正しくなかったかは,この時点ではよく分からない.仮説の誤りを(演繹的に)証明することはできるが,仮説の正しさを同じように(演繹的に)証明することはできない.仮説4はまだ誤りを証明されてはいないが,だからといってそれが正しいという証明にはならない.しかし,この仮説を他のものより確からしいと考えることは合理的なことではないか.他の仮説はすでに反証されてしまった*1が,仮説4は適切に設定されたテストを生き延びた(手を入念に洗っても死亡率が減少しなかった場合,仮説4は退けられていた)のだから*2.
*1:正確にいえば,これだけの情報ではまだ完全に反証されたとは言えないのだが.例えば仮説3に対する反証は「坊主が病室の前を通らなくなれば婦人の不安は完全に消え去る」のような補助仮説(とする.これ以外にもいくつも補助仮説, , ..., があるだろう)を前提としている.つまり仮説3の命題1はではなくと表され,命題3はと表される.これは「, , , , ..., のすべてが同時に真であることはない」ということを言っており,例えばが偽だと判明するようなことがあれば(いつまでも不安が消えない心配性の婦人もいるかも知れない),は必ずしも偽とは限らないのである.
*2:ただし,現在の医学的見地からすると仮説4は間違っている.なぜなら産褥熱は細菌が引き起こすもので,「死体から生じる毒物」によるのではないからである.実際この後,ゼンメルワイス達は化膿している癌を触ったあと入念に手を消毒することなく他の婦人を診察したのだが,12人のうち11人が産褥熱で死んでしまった.